重要文化財

「神仙郷」 名勝

 神仙郷は、第二次世界大戦中から戦後にかけて、教祖・明主様が箱根強羅地域の自然環境の特質を巧みに生かしつつ理想郷として作庭したもので、昭和28年(1953)に完成しました。 庭園は、表門から日光殿へと至る導入部、日光殿の南側の芝庭、その北端の池泉から高所に向かうと神山荘(国の登録有形文化財)、また、観山亭があり、その周辺の築山、渓流、瀧、園路、さらには茶室・山月庵と茶庭、そして、竹庭、苔庭、萩の家などがあります。 その意匠、構成は独特かつ良好に維持されており、近代造園文化に寄与する意義深いものとして評価され、平成25年8月に国の登録記念物として指定され、令和3年3月には国の名勝に指定されました。

「神山荘」 登録有形文化財(建造物)

 神山荘は、大正10年頃に、戦前に財界で活躍した実業家・藤山雷太氏の箱根別邸として建築されました。 その後、世界救世教が譲り受け、背後にある箱根山最高峰の「神山」にちなみ、教祖・明主様は「神山荘」と命名しました。 神山荘は、木造平屋建てで、傾斜地の地形を巧みに利用して建物が配置されている所に特徴があります。床の間の脇に設けられた洞床風の襖を開けると自然石をそのままくり抜いた石階段や、接客用の「上の間」は敷地の一番高い所に置かれることで、風光明媚な箱根の景観を一望することができます。 玄関左手は数寄屋造りの味わいを感じられる一方で、右手に建てられた食堂と応接室はログハウス調の外観で山荘に近いイメージも合わせ持っています。 明主様は「神山荘」を入手した後、住まいを東京の玉川から箱根に移し、しばらく生活の場としました。神山荘の「上の間」では信徒と面会したり、応接室では有識者を招いて懇談をしたり、また、機関誌を通して発表される論文の執筆もしています。 平成13年(2001年)には、財界人の別荘建築の遺構を辿る上で貴重な建築物と評価され、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。 現在は、信徒の研鑽の場として活用される一方、文化施設として一般にも公開されています。

「東山荘」 登録有形文化財(建造物)

 東山荘は、昭和8年、第一銀行頭取であった石井健吾氏の別邸として建築されました。 その後、所有者が山下汽船(現・商船三井)の創業者山下亀三郎氏に移り、昭和19年に世界救世教が譲り受けました。 別荘が建てられている熱海市・旧東山(現春日町)の地名を取って、教祖・明主様は「東山荘」と命名しました。 東山荘には、創建当時のまま現存する本館をはじめ、後に山下氏が政財界の交流の場や国賓の迎賓館として手掛けた別館や茶室、明主様が美による人心教化を目的とした美術館構想実現(後のMOA美術館)の為に収集した美術品を保管するための蔵、また東山が望む相模湾の海原を活かした借景庭園などがあります。 明主様は、「東山荘」と前年に取得した箱根「神山荘」をしばらく住まいとして、秋から春にかけては「東山荘」で過ごしました。 本館を主に生活の場とする一方、別館は信徒との面会や、論文の執筆などに用いて、時折、奉仕者とともに映画を楽しむ場ともなりました。 現在は、信徒の研鑽の場として活用される一方、一般公開を視野に入れて準備が進められています。 平成28年(2016年)に、昭和初期から今日までの歴史を孕んだ近代和風の別荘建築として貴重であると評価され、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。

「陽明館」 登録有形文化財(建造物)

 陽明館は、昭和14年に建築され、製紙事業の拡大で財閥を築いた大川財閥の別荘だったと推察されています。 その後、昭和33年に世界救世教が取得し、「陽明館」と名付けています。 陽明館は、瓦葺木造2階建てで、相模湾が望める南側の上下階にそれぞれに大きなガラス窓が配された開放的な造りが特徴です。丸太や面皮を多用して細部が数寄屋風に仕上げられる一方、玄関脇には小上がりを配した洋室を設けるなど和洋折衷の造りとなっています。 東海道熱海線の敷設を契機に、大正の終わりごろから昭和初期にかけて別荘建築群の建築が盛んとなり、その造りは和風建築を基本としながらも洋室を備えている点が特色と言われています。 陽明館は、教祖・明主様の跡を継いだ二代教主の公務、迎賓館などとして使われていました。現在は建物の特性を生かして、茶席やいけばな展の催しなどに活用される一方、一般公開を視野に入れて準備が進められています。 平成30年(2018年)に、現存する別荘建築群の中でも、昭和初期に建築されたことが明らかな遺構として希少であると評価され、国の登録有形文化財(建造物)に指定されました。